筑前煮がもたらす世界

夕食の筑前煮のこんにゃくを食べながら、子供達が話している。
「こんにゃくは、おなかを、お掃除してくれるんだよね」
「おなかを、ピカピカにしてくれるんだよ」
  ふーーん目
確かに、そんな事を言った覚えはある。
だが、その言葉で、こんなに夢中になって、
筑前煮の中のこんにゃくを
探し出すようになるとは、思わなかった。
彼らの頭の中では、
ほうきを持ったこんにゃくが、お腹をせっせとお掃除している
姿が、くっきりと想像できているようだ。
  なるほどね目
まだ、人生の経験的事実量が少ない子供達は、
「これを食べれば、大きくなれる」とか、
「これを食べなきゃ、元気になれない」とか言われても、
具体的にイメージする事が難しいのだ。
こんにゃくを完食した子供達は、次にごぼうに取りかかる。
「これは、いいウンチが出る」
神妙な顔つきで、長男が言う。
「恐竜のウンチだ!!やったーやったー!」
無邪気に喜ぶ次男。
「たくさん食べれば、いいウンチがたくさん出るよ」
「いいウンチ、楽しみだね!」
 なるほど・・・目
まだ、未来推測機能に乏しい子供達も、
翌日のウンチの事までは、しっかりと見通しが立っている。
将来大きくなれるかどうかより、
明日のウンチのほうが、重要なのだ。
これは、食育の新たな起点に、なりはしないだろうか?
いや、哲学と言ってもいいかもしれない。
「見えない未来を悩む前に、明日のウンチを考えろ」
文学的だ。アメリカ文学だ本
本日の夕食は、筑前煮。
もぐもぐ、もごもごと、
それぞれが、それぞれの世界の中にいる。
やっぱり、食は奥が深い。